日和坂の家

2014年の初夏の頃、西部地区で眺めが良くほどほどに交通の便も良いという条件で土地探しからの依頼があった。青柳町、元町、弥生町など様々な物件を探して回りました。その夏の終わり、合同会社 箱バル不動産をのちに共にする不動産屋の蒲生氏と出会い相談したところ、日商商事の陳氏が管理する日和坂の物件を紹介してもらった。日和坂の突き当たりにある角地で、目の前には障害物がなく真っ直ぐ函館港の旧桟橋まで見下ろせる奇跡的な眺め。敷地脇のトビ坂の突き当たりには北海道最古の舟魂神社がある。隣には門構えが立派な明治中期頃に建築された土蔵と純和風家屋を茶房にした無垢里さん。斜め向かいには板塀に囲まれた函館を代表する豪商で函館の礎を築いた初代相馬哲平が建てた旧相馬邸。その向こうには元町公園があり、さらに近隣に旧函館区公会堂、イギリス領事館があり『伝統的建造物群保存地区』(以下、伝建地区)に位置する。このような環境の敷地に出会い施主も私も心踊らずには居られなかった。この土地に対する意思はすぐに固まり早速交渉を重ね、2015年の春に無事土地の取得となりプロジェクトが始まった。当初は現代的な家にする考えであったが、この土地との出会いは『この場所にあった函館らしい家を建てたい』と施主の想いに大きな影響を与えた。板塀が連続する水平方向の街並みに馴染むよう1階は和風に、日和坂下からの垂直方向の眺望から2階は洋風にと必然的に函館特有の和洋折衷住宅へ導かれた。函館の旧市街は函館山の裾野に広がっており、港に入る異国の船に対して2階を洋風にすることで見栄を張るような考えから生まれたという説もあるからだ。日和坂は紫陽花の坂でもあり2階の外壁は紫陽花の色を、隣接するトビ坂にちなみ2階軒下の持ち送りはトビをモチーフにするなど、ここならではのデザインを組みれた。伝統様式で建てられる伝建地区の建物には文化庁と函館市からの修景補助という制度も活用した。外観だけではなく中の暮らしも和洋が織り成す暮らしになっている。坂下から象徴的に見える松の間の門をくぐり、敷地内から出た間地石で組んだ石畳を抜け、暖簾の掛かった格子戸の玄関から一直線の通り土間に沿ってキッチン、トイレ、脱衣場から裏庭へと続く。玄関脇にある前室(客間)と、キッチンの対面にある居間が続きの畳敷きで、ちゃぶ台や文机などの家具と障子で空間をしつらえられる。先日伺ったらちょうど前室にお雛様を飾っていた。和の空間に馴染むようキッチンの天板は工芸漆塗りで、扉などは柿渋塗りで外壁にも塗っている。正面の壁には小さな丸い和柄入りの藍色モザイクタイルを張っている。人通りの多い南東側は外からの視線を遮るように地窓を連続させ、上の収納は雪見障子のように見立てている。坂の突き当たりの一番眺めの良い2階の部屋はピアノと小上がりがある和洋室で、続きの子供部屋2室はわずか3畳づつの畳敷きで布団を上げ下ろしする昔ながらのスタイル。畳という日本古来の暮らしが消えゆく中、子供達にその文化を伝えたいとの施主の想いから生活スペースは全て畳でこだわった。畳の間は何と言っても癒しの香りと優しい足触りや断熱性などの特徴と特有の暮らしと文化がある。お風呂は地窓からの借景が見られよう浴槽はまたがずに入れる彫り込み式。洗面台やトイレも工芸漆塗りのカウンターに、スイッチは真鍮鋳物で統一した。暖房は土壌蓄熱暖房とし、土中に配管を流しアースチューブによる熱交換の自然給気としており2階は1階の余熱と対流のみとしている。現代は様々な技術革新が進み便利にはなる一方で味気ない制御された暮らしに置き換わり、育まれてきた日本の文化や地域固有の文化は暮らしから姿を消しつつある。過去を作り替える近未来よりも、忘れ去られた文化を引き継ぐ古くて新しい暮らしに可能性を見出すプロジェクトになった。