寒波による大雪が続き、雪掻きばかりで作業も進みません。
柱の根継ぎ、土台の入れ替えも雪掻きに大工さんは狩り出され、
アリの駆除材も寒波のせいか、なかなか現場に入って来ません。
そんな中、現場ではコツコツと解体作業を進めています。
常盤坂に面する連子格子の間は、昔の天井の下に下地を組み、
ベニヤの上にクロスを張った天井になっていました。。。
日の当たらない部屋に、黒の天井はとても暗かったのでしょう。
今回のリノベーションでは、床を下げることで天井が高くなり、
間接的に光を取り込み、開放感を増す事でカバーします。
クロスの天井は剥がし、昔の姿に戻します。すると、以前あった
囲炉裏によって煤けた、とても味わいのある天井が現れました。
続いて、壁や小壁などのクロスを剥がしていきます。
板の上には、新聞紙や昔の教科書や雑誌などが袋貼りされていて
ノリを付けた所が跡として残る。
そして壁に張った羽目板はなんと全て秋田杉!
当時でもやはり秋田杉となれば高級品だったと思いますが、港町
函館にはこうした物もしっかり流通していたのでしょう。
赤身の8寸の柾目ともなれば、かなり太い丸太だったようです。
今ではこれだけの材料はなかなか揃えられませんね-。
秋田杉の羽目板は、2尺間に入った通し貫を下地にしていました。
下の写真のように、土台の上の段には貫と外壁の下地板の隙間を
塞ぐように亜鉛鉄板を取り付けて おりました。憶測ですが、
これは火事で壁の足元に火がついた時に、この隙間から火が上に
勢いよく上らない為のファイヤストップではないかと思います。
こうした仕事の跡が、当時の匠の心意気を物語ってくれます。
基礎の湿潤養生は寒波で気温も低かったので、7日間取りました。
ようやく脱型し、中々の仕上がりですっきりとしました。
足場も固まり、いよいよアレを降ろす時がやってきました。
上の写真のアングルを見上げると、下屋根の屋根裏スペースには
梁の上に板を組み、その上に材料のようなものが載っていました。
これは私の目に”ノアの方舟”のように映っておりました。当時の
匠が常盤坂の家の助け舟として残してくれたものだと思います。
材料を下に降ろすと結構なボリュームです。ほとんどが板と役物。
羽目板の相決り前の板など、工事の残材だったのでしょう。
当時と同じ材料を使って直すのが一番良いことです。
中には変わったものもありました。
下の写真の札には『探勝記念 昭和3年4月』の文字が。その下に
朱の判が押されているが、判別出来ない。建て主の大川福造先生が
何処かの景勝地に訪れた時の記念だろうか。何処か気になる。
残された材料をどう活かすか、またまた楽しみが増えました。
つづく。