第48話:『常盤坂の家』冬眠

冬至を前に、常盤坂の家は長い冬を迎えました。
常盤坂の家の2階住宅部分は、天井・壁と仕上がり、
続いて最後の床の段取りを進めて行きます。

そんな折、再び北川さんが助っ人に来てくれました。
床の段取りがまだだったので、1階の通り土間の
天井を張って頂く事になりました。

▲通り土間の様子。

こちらも2階天井と同様、洗いをした秋田杉の板なのですが、
その中でも選りすぐりの板を、この為に取ってありました。

▲割り付けをして、丁寧に張ってくれます。

そして板を留める、釘は一本一本抜いて取っていたものですが、
2階の天井でほぼ使い切ってしまったので、次は真鍮釘です。
この真鍮釘は、古くからやっている金物屋さんで、かれこれ
30年ほど売れずに残っていたもの。新品なのに、経年変化で
黒ずんで味が出ております。量り売りで、破格で購入。

▲上が再利用する残りの釘。下が真鍮釘。

常盤坂の家では、こうした新旧の材料が入り交じるのですが、
主には天井と、廊下やトンネル、階段などの移動を伴う場所で
使うように意識しております。移動という移ろいと、古材が
長い年月を経て来た、時の移ろいを掛けています。
そうした思いの一本の軸があると、乱雑にならずまとまります。

▲一番大変な所を北川さんに乗り越えて頂きました。

流石、プロは仕事が綺麗で早いですね。 ありがとうございます。

▲味のある板が、暖かな明かりをまとう。

近所にストックさせて頂いていた、畳の下地になっていた荒床を
再び持ってきました。 常盤坂の家の荒床は、1階がヒバ材で、
2階が杉板になっていました。今回の2階の床も、この杉板を
ひと手間加えて再利用していきます。

▲これこそまさに、取って置きの床板です。

古民家改修などでは、こうした無垢の板を再び機械で削りカンナを
掛けて真新しくして再利用するのが主流です。
それができるのが、また無垢の板の良い所でもある訳です。
常盤坂の家ではどうするか考えました。畳の表替えをするように、
この荒板も表替えをすることにしました。そう、裏で使います。

▲この面が、荒板の表面。手前にあるのがハンドサンダー。

荒板というだけあって、丸太から大きな鋸で切り出しただけの
粗い木肌になっています。これを機械ではなく、ハンドサンダー
を使って、手でヤスリを掛け使います。約畳25枚分。

▲裏の様子。こんなスタンプの面もありますが、これも使います。

コレだけの量を、手でヤスリ掛けするのも大変な作業です。
しかし、手で仕上げなければ出せないものがあります。

▲削る前の木肌。
▲上写真と同じ部分を削ってでた木肌。
▲並べると左が削った木肌、右が削ってない木肌。

手でヤスリを掛けなくては出せないのが、この鋸の痕跡。そして、
木目に沿ってヤスリを掛けるので、木目が多少浮き出てきます。
それを更に洗うと、自然な浮造り仕上げに!

▲手でしか出せない木肌。濡れた木肌がまた美しい。

全部が全部、このように綺麗に浮造りになる訳ではありません。
綺麗に木目が通り、柾目に近い部分が綺麗に出ます。

また、こうしている事で、新たな事実が発覚!?
これまで常盤坂の家では、棟札に記載が無く建てた棟梁の名前等
全く分からなかったのですが、荒床の裏から名前が出てきました。

▲書かれているのは『野村大工行』野村の大工さん行き。

私の推測では、青森ヒバや秋田杉が多く使われているのと、
昭和9年の大火後の建築という事で、青森や秋田から復興の
手伝いに来た、個人の野村という大工さんが建てたのではと。
推測の域は出ませんが、いろいろと想いを巡らせます。

▲ヤスリ〜洗いの終わった荒床。

ここまで出来たのが12月11日のお話。次の日、過労で倒れ、
次の日から、別プロジェクト『大屋根の家』が本格的に始動し、
当分、大屋根の家に集中する為、常盤坂の家は冬眠に入ります。
次の工事再開は来年2月下旬からになります。

今年も一年、常盤坂の家と共に、多くの方から支えていただき
ようやくここまで辿り着きました。予定を大きく遅れ、家族や
関係者の方々にもご不便を掛けてしまっております。
勝手ではございますが、ここは無理を押して進めずに行く選択
としました。本年中の皆様のご愛顧に感謝申し上げます。
来年も常盤坂の家共々、宜しくお願い致します。

▲常盤坂の家は皆様のご健勝とご多幸をお祈りしております。

みなさまも良いお年をお迎え下さい。

つづく。