『写された幕末・明治の函館』と題した写真展が、
市立函館博物館で開催されていましたが、最終日を迎えた今日、
なんとか駆け込みで拝観してきました。
常盤坂の家から、函館山の中腹を横断するように自転車で約5分、
市民有志で作り上げた日本最初期の公園でもある函館公園の中に
函館博物館はあり、恥ずかしながら今回初めて中に入る。
函館公園内には現博物館と共に歴代の開拓史函館支庁仮博物場と
函館県第2博物場もあり、函館県第2博物場の佇まいと空気感は
常盤坂の家と共通するところがある。
函館にはペリー来航とともに写真が伝来し、日本の写真発祥の地
とも言われているらしい。その中でも、土方歳三などの写真を
撮影した写真師 田本研造の写真を中心に展示してある。
まず驚くのが120年も前の一地方の港町だとは思えないほど、
当時の函館には活気があったという事。これより大正時代にかけ
東北以北最大の都市へと発展したこともうなずける。
度重なる大火に見舞われた函館は、二十間坂を代表に道路の拡幅
などの都市改造計画を行なってきましたが、主要な坂などの
都市の骨格は今も昔も大きく変わっていません。
明治時代の写真の中に、今も残る蔵なども多く写っている。
西部地区はこうした文化財クラスの建築物群が今も変わらず存在し、
そうした建物に囲まれ生活できる事の豊かさを改めて感じる。
そんな中に、一枚の古地図に常盤坂の家の昔の情景が分かるもの
がありました。
現在の常盤坂は、明治時代はトキワ町「ミカエリ坂」と書かれ
古地図には坂の中腹には大門が描かれ、遊郭だったのが分かる。
遊女との別れを惜しみ、ふと見返るという言われ。
常盤坂の家のある場所は下の拡大写真で「外国人休憩茶ヤ」と
書かれている場所だ。今の弥生小学校の合った場所には、
称名寺、實行寺があり、現在の常盤坂の家まで寺町だった事が
古地図からもわかる。その後の大火で現在の寺の位置に。
過去を知る事で現在を見つめ、現在を考える事で未来を作る。
そんな想いに駆られた一日でした。歴史って知れば面白い。。。